ラン担当者カンコ―氏のアキレス腱断裂事件により、第2回倉敷国際トライアスロン大会リレー部門を途中棄権せざるを得なかったS61児島高校卒の男達チーム。
しかしスイム担当のドリームSW氏も、バイク担当の私も、それぞれのパートで完全燃焼することができた。
唯一、不完全燃焼なのが、アキレス腱を断裂し一歩も走ることができなかったラン担当のカンコ―氏である。
私個人は第2回大会が終わった瞬間から、翌年はリレー部門ではなく、個人の部に参加し、真のトライアスリートになる決意をかためていたのだが…
S61児島高校卒の男達の忘年会の席上でこう懇願するカンコ―氏。
「来年は絶対、アキレス腱切らんから、もう一回だけリレー部門に出場しようやぁ。」
カンコ―氏の切実なる想いに応えるべく、第3回倉敷国際トライアスロン大会のリレー部門に、もう一度挑戦することを決めたS61児島高校卒の男達であった。
目指すはリレー部門優勝
2012年末の忘年会で完全リベンジを誓った我々S61児島高校卒の男達チーム。

2013年9月の大会に向けて各自が厳しいトレーニングで己を鍛え抜いたのである。

第3回倉敷国際トライアスロン大会の一ヶ月前、2013年8月10日にS61児島高校卒の男達のバーベキュー大会が盛大に開催された。
カンコ―氏:「昨年は皆に多大なる迷惑をかけて申し訳なかった」「今年は飛脚のごとく走ってみせる!」
私:「頼むから残り1ヶ月、アキレス腱だけは切らないでくれ…。」
ドリームSW氏:「去年のタイムからすると、三位以内入賞は確実じゃね??」
確かに、昨年のタイムから考えると、三位入賞は決して不可能ではなさそうである。(ちなみに三位までに入賞すると閉会式で表彰されるのである。)
皆:「今年はリレー部門で優勝だ!」
美味い焼肉と酒に酔いしれたS61児島高校卒の男達は、こう高らかに宣言したのであったのだったのだ。
第3回倉敷国際トライアスロン大会 リレー部門
そしてなんとか無事に大会前日までこぎつけたS61児島高校卒の男達チーム。

前夜祭で倉敷市長の伊藤香織氏と記念撮影するS61児島高校卒の男達チーム。(ちなみに伊藤市長は我々より一つ年上のお姉さんである。)

そして迎えた第3回倉敷国際トライアスロン大会当日。そこにはアキレス腱断裂から完全復活したカンコ―氏の姿があった。
遂にS61児島高校卒の男達チームのリベンジが始まったのだ!

昨年同様、スイム担当のドリームSW氏は、海水パンツ一枚で泳ぎ、好タイムを叩き出した!
そして私は計測チップ入りアンクルバンドとリレーたすきを受け取り、激坂コースへ向けてスタート。

実は大会当日は小雨が降っていたため、鷲羽スカイライン二周から一周にバイクコースは短縮されたのである。
濡れた地面は滑りやすく、多くの参加者が落車していた。
そんな中、私はとにかくカンコ―氏にリレーを繋ぐことだけを考え、安全第一に走ったのである。

そしてカンコ―氏は無事に最後のランを走り切り、我々は遂に念願のフィニッシャーズタオルをゲットしたのである。
ちなみに結果についてだが…

大モノ言ってた割には13位という、フツーの結果でした…。
しかしトップチームとのタイム差をよく見て欲しい。
トップチーム:スイム38分28秒、バイク1時間2分41秒、ラン36分45秒。
S61児島高校卒の男達:スイム26分50秒、バイク1時間4分32秒、ラン49分50秒。
実は私がカンコ―氏にたすきを渡した時点で、トップチームに約10分も先行していたのである!
やはりアキレス腱断裂の傷跡がカンコ―氏の走りに影響していたことは間違いあるまい…。
…という訳で、S61児島高校卒の男達チームの闘いは無事に終わった。
リレー部門完走という目標を達成した私は、個人部門完走という次の目標に向かって鍛え抜くのである。
ちなみにカンコ―氏は今でも毎年、忘年会でこう皆に懇願している。
「来年また、リレー部門に参加しようやぁ!」…と。