第2回倉敷国際トライアスロン大会 リレー部門に参加することになった【S61児島高校卒の男達】チーム。
バイクパートを担当することになった私は、日夜激しいトレーニングに明け暮れていた。
仕事から帰ってから日が沈むまでのわずかな時間を利用して、修行の山である「十禅寺山」でヒルクライム練習に没頭。
己の限界に挑みながら鍛え抜いている最中、その知らせが届いた…。
「アキレス腱が断裂した…。本当にスマン!」
十禅寺山でのハードなヒルクライム練習を終えて、自宅でリラックスしていた時、スマホにラン担当のカンコ―氏から連絡があった。
私:「バリバリに鍛え抜いとるから、大会には絶好調で出場できるぜ!」
カンコ―氏「・・・スマン! 実はアキレス腱を切りまして…」
私:「なぬ~!!!!」「練習し過ぎたんか??」
カンコ―氏「本当にスマン! フットサルしてて切りました…。」
私:「何じゃそりゃぁ!?」「まぁ切ってしまったものはしょうがない。とりあえず出場だけはして、途中棄権しよう。」
これが実際のギプス。
トライアスロン競技の三種目のうち、ランが最後なので、とりあえずスイム、バイクだけは出場できそうである。(せっかく参加費30000円(一人10000円)払ったんだから元はとらんとな…)
とりあえず出場してみた第2回倉敷国際トライアスロン大会
途中棄権することが確実になってしまったが、ヒルクライム練習の虜となった私は、一生懸命に練習を積んだ。
児島半島にあるヒルクライム練習のメッカ、金甲山、貝殻山をブッ倒れるまで何度も登り、己を鍛え抜いたのである。
そして迎えた大会前日。
前日の受付の模様。出場者は皆、全身から「やったるで!」感を漲らせていた…。
前夜祭では、神出鬼没のアスリートとして有名な神伝流古式泳法のIさんとも会うことができた。⇒神出鬼没のアスリートIさんについて知りたい人は、こちらの記事をどうぞ!【吉備路の山全山縦走大会レポート】
そしていよいよ大会当日!
スイム担当者以外のリレー部門出場者は、自分の出番がくるまで観覧席でスタート場面を見学できるのがいいですね。
第二回倉敷国際トライアスロン大会スタート直前、観覧席でノンキに写真に納まるカンコ―氏。
このレッドカーペットを颯爽と走って地元の人々に自分のカッコイイ姿を、さぞ見せつけたかったことであろう…(残念!)
さて肝心のレースについて話を戻そう…。
元水泳部のドリームSW氏は、海水パンツ一枚で並み居る強豪を抜き去り、25分台でトランジットエリアに到着。(まさにトップレベルの泳ぎでした!)
第二回大会当時はまだウェットスーツの着用が義務ではなかった(ウェットスーツは浮力があるので恐ろしく速く泳げます)
他の選手が皆、ウェットスーツの恩恵を享受する中、ドリームSW氏は海水パンツ一枚で、トップレベルのタイムを叩き出したのである!
ドリームSW氏からリレーたすきと計測チップ入りのアンクルバンドを受け取り、颯爽と出発する私。
リレー待機場所で私の帰りをノンキに待つカンコ―氏。
その頃、私は鷲羽スカイラインで激坂の洗礼を受けていた!
自分では十禅寺山でしっかりと練習してきたつもりであったが、鷲羽スカイラインの激坂は予想以上にキツかった…。
しかし無事にカンコ―氏の待つリレー待機場所に帰ってくることができた(自己計測タイムは約1時間48分)
ここでチョッとしたアクシデントが発生。
私からたすきとアンクルバンドを受け取ったカンコ―氏は、その場で「棄権します」とオフィシャルの女性に告げたのだが…
「あなた、何してるんですか? なぜ棄権するんですか? バイクタイムが記録されませんよ!」とオフィシャル女性に叱られてしまった。
しどろもどろになりながら、アキレス腱を切っていることを初めて申告したのである。(上の写真はその決定的瞬間をとらえたものである)
というのも、ラン走者が計測チップ入りのアンクルバンドを装着して、計測ラインを越えなければ、バイクのタイムは記録されないらしい。
結局、S61児島高校卒の男達チームは、ラン走者が計測ラインを越えないまま棄権してしまったため、バイクの公式タイムが記録されなかったのである。
ゴール地点に行ってみると、そこには過酷なレースを完走し、フィニッシャーズタオルを肩にかけて満足げな笑みを浮かべるトライアスリートで溢れかえっていた。
カンコ―氏:「あのフィニッシャーズタオル、もらえんかなぁ…。」
フィニッシャーズタオルを配っている人に「リレー部門に参加したのですが、フィニッシャーズタオル貰えませんか?」と尋ねてみると…
「フィニッシュしてない人にはあげれません」とあっさり断られてしまった。(そりゃそうだね…)
記念撮影用の壁紙の前に立ち、あたかも完走したかのようにポーズをとるS61児島高校卒の男達チーム。
しかし我々の肩には栄光のフィニッシャーズタオルは無い…。
この時既に私の中にはメラメラとした燃える想いが湧き上がっていた…。
「いつか必ず一人でトライアスロンを完走してやるぜ!」という想いが…。
【次回予告】
途中棄権に終わった第二回倉敷国際トライアスロン大会直後から、私はリレー部門ではなく、個人の部に参加することを決意していた。
その旨をカンコ―氏に告げると「もう一回だけ挑戦しようや。今度はアキレス腱切らんから…」と懇願されてしまった。
S61児島高校卒の男達チームはどうなるのだ?? 乞うご期待!
…to be continued(続く…)