本日(2019/01/27)美作市の国際サーキットで開催予定だった、第25回 美作市F1ロードマラソン大会 は積雪のため中止となりました。
気合を入れて前日夜から現地入りしましたが、山道で大雪に遭遇し、大変な目にあってしまいました。
目次
ベンツCクラスセダンで車中泊したいのだ!
今回は、以前からやってみたかった「ベンツCクラスセダン(W205)で車中泊」に挑戦してみました。
それに、大会当日の朝早く起きるのが面倒くさいという理由もありました。
仕事を終えて、高速道路にのって一路「和気鵜飼谷温泉」をめざします。
和気鵜飼谷温泉は国際サーキットに行く途中にあるので、美作市F1ロードマラソン大会を走った後に汗を流すのにも最適です。
温泉でしっかり暖をとり、国際サーキットを目指して山間部を走り始めたのですが、途中、凄まじい雪が降り始めました!
この時点で「大会が中止になるであろう」と考えるべきでした。
「ベンツに車中泊する」ことに気を取られていたのが失敗でしたね…。
後輪駆動&普通タイヤで走る雪道の恐怖
国際サーキットはかなり山間部に入ったところに位置しています。
そのため細くて坂の多い道を走らなければなりません。
しかも途中にはほとんど民家がありません。
私のCクラスは後輪駆動で、しかもランフラットタイヤです。
雪の降る山間部、しかもスマホの電波も届かないところでスリップ事故しようものなら、最悪です。
とにかく慎重に、時速10km程度で走り続けました。
そして国際サーキットまで残り300mほどのところにある坂道を登っていた、その時!
なんと後輪がスリップで空回りしだし、前に進めなくなってしまったではないか!!!!
急いで車を降り、手持ちのペットボトルの水をタイヤ周囲にまき散らし、足で雪かきして、なんとか車を動かして坂の上まで辿りつけました。
約50m先には、国際サーキットの入口の灯りが煌々と輝いています。
しかし最後の下りが恐ろし過ぎる!!
その時、スタッドレスを装着しているであろう一台の車が凍った雪道を砕きながら走り去りました!
ここぞとばかりにその車が作った轍(わだち)を利用し、なんとか最後の50mを下り、無事に21:30に国際サーキット入口前の広場に到着できました…。
マジで心臓バコバコで、この時点でもうクタクタになりましたよ。
もう二度と、雪道を後輪駆動のベンツで走らないと心に誓った私です…。
ベンツCクラスセダンで車中泊してみたが…
雪が積もった山間部だけあって、まさに極寒状態ですが、防寒対策は万全です。
寝袋、毛布、ボアコート、ダウンベストを着こみ、愛車Cクラスセダンのトランクスルーで足を伸ばして横になりました。
…がしかし!
寒い時は横を向いて丸くなって寝たいものです。
寝袋に入ったまま、しかもトランクに骨盤が当たってうまく横向きに寝れません…。
それでも疲れていたのか、3時間は熟睡できました。
しかし、その後は寝返りを打つたびに目を覚ますという始末でした…。
朝一番に大会中止を告げられる…
05:30頃から大会関係者&警備員の方々が集まってこられ、外が賑やかになってきました。
そこで私もゴソゴソと起き出して車外にでて警備員さんに挨拶しました。
私:「おはようございます。お疲れさまです。出場者です」
警備員さん:「おはようございます。今日は中止になりましたよ」
私:「なっ!!! ……。」
まぁ落ち着いて考えてみれば、雪が積もって凍ったサーキットを走れるわけがありませんね…。
私:「地面が凍結しているので、8時頃まで寝てから帰ります…」
…ということで、再びベンツのトランクスルーに潜り込み、一寝入りすることにしました。
07:00頃から、少しずつ出場者の方々が集まってこられました。
わざわざ来られた参加者の皆さんは一様に残念そうにされておられました。(お疲れさまでした)
大会中止は、HPやFacebookで告知されていたようです。
車が走ってくれたおかげで、道路の積雪&凍結もなくなり、無事に帰ることができそうになりました。
08:00頃になると、気温も少し上がってきたので帰ることにしました。
美しい白銀の世界
せっかくここまで来たので、ハーフで走るはずだったコースを、ベンツで走って帰ることにしました。(来た時に通った道は坂道が怖いですので…)
瀬戸内海沿岸の玉野市に住む私にとっては、何年かに一度、積雪に遭うかどうかです。
こんなに綺麗な白銀の世界を観れることは滅多にありません。
…という訳で、愛車の写真撮影をすることに決定!
帰路途中にある池に反映された景色は、感動するくらい美しかったです…。
マラソン大会は中止、山の中の雪道で立ち往生しそうになる、寝返りできない車中泊等々…、かなりハードな経験でした。
しかし、この美しい白銀の世界で愛車の写真が撮影できただけでも、苦労してここまで来た価値があったと、自分に言い聞かせた私であったのだったのです。